Garuda Indonesia Colours Magazine March 2018 | Page 165

Kupang | クパン 163 に行くため、私はクパンの中心街から伸びるなだ らかな道を50キロほどドライブした。 その後同じ道を通って、 島の中心にある他の地 域も訪れた。高地に住むダワン族の故郷だ。私は ボティという、 ダワン族の亜族のひとつで伝統的 な慣習を多く残していると言われる集落を目指 していた。 しかし私が到着したときには残念なが ら、住民が喪に服していたために外部からの訪 問は禁じられていた。 その代わりにモロ出身の若いライター、 ディッキ ー・センダがムティス山自然保護区の入口にあ る、 ファトゥムナシという村に案内してくれた。標 高1000メートルにあるこの地への旅は、私達 をティモールの別世界へ連れていってくれた。松 林を通り抜けると、何頭もの馬が草を食んだり 自由に走り回ったりしているところに出くわし た。私は何度も立ち止まって景色を楽しんだた め、 トゥヌア・ヒルに着いたのは夕暮れが近付く 頃だった。 私達はファトゥムナシに滞在し、 山の冷たい空気 を入れないように戸口が低くなっている 「ume kbubu」 という丸い伝統的家屋で暖を取った。 村の長であるマテオス・アニンが、 横笛を吹いて 様々な家畜を私達の前に集めてきてくれた。 まる で魔法のようだ。 「私達の一族はあらゆる動物達 と友達なのです」 と彼は言う。 「これこそ、 自然と 生き物のバランスを守るために私達が受け継い できたことです。」 クパン 連なる岩山が文化と自然のバランスを保ち、 海岸は絶え間なく人を引き付ける、東ヌサ・ト ゥンガラの中心部を訪れた。 「ここは、 白亜のサンゴの上に建てられた街で ね。標高の高いところに行けば、 その跡がわかる はずだよ。 だからと言って、 クパンにあるものすべ てがゴツゴツして厳しいというわけじゃない。 こ こには優美さや穏やかさもあるんだ。」 こう話してくれたのは、 クパンに20年住んできた 私の叔父だ。私はファトゥレウ山西側の斜面にあ る大きな岩の上に寝そべりながら、 その言葉を 再び思い出していた。岩だらけのファトゥレウ山 を登って、 夕暮れになる頃には遠くの湾を丘の向 こうに見渡せる美しいパノラマが広がる絶景に たどり着いた。 クパンがあるティモール島は、確かにサンゴでで きており、 インドネシアの南東にあるこの島の東 端に点在する山の連なりは変成岩によるものだ。 ティモール島にある山のほとんどは、岩を意味す る 「ファトゥ」 という言葉で名前が始まる。 ファト ゥレウ山の近くにあるのは、 ファトゥアニン山だ。 昔は両方とも神秘的な力がある山だと信じられ ていたが、 今では週末になると人々が訪れる人 気の観光地となっている。 この二つの山のふもと 次に私達は自然に形成されたムティス・ボンサ イ・フォレストと、岩丘の上にある松林に囲まれ たファトゥコト湖を訪れた。 クパンの中心街に戻ると、私の思考は山から海 岸へとシフトした。人口約40万人のクパンは1 6世紀のポルトガル及びオランダの植民地時代 から、 サンダルウッド貿易の中心地となってきた。 クパン旧市街では、今でもその時代の名残を目 にすることができる。古い中国人商人の店がいく つも残っており、 またオランダ人が建てたGMIT 教会はクパンで最も古いもので、 さらに河口には 1865年に建てられたシアン・レイ寺がある。 ポ ルトガル人が1653年に建てたコンドルディア 要塞が現在陸軍基地として使われているほか、 ヌンヒラ・オランダ人墓地もある。 急速に発展したにもかかわらず、 クパンは控えめ なカリスマ性を失うことなく、特に自然のまま残 っているビーチが素晴らしい。 とりわけ魅力的な ものを挙げれば、街の東側にマニキン・ビーチ、 ラ シアナ・ビーチ、 バトゥ・ノナ・ビーチ、 ヌンスイ・ビ ーチがある。 そしてテナウ港の西にはラレンド・ビ ーチとバリアナ・ビーチ、 夕焼けを眺めるのに最 適なタブロロン・ビーチがある。